年 | ライダー | マシン/メインスポンサー | ゼッケン | 予選順位 | 決勝順位 |
---|---|---|---|---|---|
1986 | 千石清一 大塚茂春 |
スズキGSX-R750 (味の素) |
27 | 14 | リタイア |
1987 | 千石清一 山田純 |
スズキGSX-R750 |
27 | 65(予選落ち) | - |
1988 | 千石清一 大塚茂春 |
ヤマハFZR750 (チキータ) |
27 | 39 | 27 |
1989 | 千石清一 大塚茂春 |
ヤマハFZR750R (ボブソン) |
27 | 42 | 15 |
1990 | 千石清一 山本隆義 |
モリワキZERO-VX7 (ボブソン) |
27 | 43 | 31 |
大塚茂春 マリオ・ドゥハメル |
モリワキZERO-VX7 (ボブソン) |
28 | 46 | 22 | |
1991 | 千石清一 山本隆義 |
モリワキZERO-VX7 (ボブソン) |
27 | 45 | リタイア |
中井直道 新井秀也 |
モリワキZERO-VX7 (ボブソン) |
72 | 47 | 18 | |
1992 | 山本隆義 宮城光 |
ホンダVFR750R (ボブソン) |
27 | 52 | 23 |
新井秀也 田村圭二 |
ホンダVFR750R (ボブソン) |
29 | 16 | 24 | |
1993 | 新井秀也 田村圭二 |
ホンダVFR750R (SNK) |
27 | 16 | 23 |
1994 | 大阪賢治 田村圭二 |
ホンダRVF/RC45 (SNK) |
27 | 12 | 14 |
1995 | 大阪賢治 田村圭二 |
ホンダRVF/RC45 (SNK) |
27 | 12 | リタイア |
2011 | 中木亮輔 津田一磨 鈴木慎吾 |
ホンダCBR1000RR (来来亭) |
27 | 26 | 14 |

1986年7月最後の日曜日。
スポンサーの問題から第2ライダーまで様々な問題を抱えスターディンググリッドに立った
チームシンスケとサポーター達。
合言葉は「がんばりましょうね」と・・・。

オレンジとスカイブルーに彩られたスズキ ヨシムラGSX-R750。
2"25.283
予選は何と!プライベーターでは最高の14位。華々しいデビューだった。
レースを告げるカウントダウン。
爆音とともに14番グリットからスタートしたチームシンスケ。レース序盤にはモリワキの八代
をかわし8位まで順位を上げたとアナウンスされる。しかし・・・。


ラストラン
1991年7月最後の日曜日。あの人が鈴鹿の夏に別れを告げた。「鈴鹿で必ず泣ける」の一言で
全ての人を巻き込んだ千石清一氏である。
1991年 最後の鈴鹿8時間耐久レース 雨 マシントラブル。
過酷な結末がこの伝説のライダーに襲い掛かる・・・。
いったい何時間マシンを押していただろう?
雨に濡れたツナギがずっしりと重くぬかるんだコース脇を懸命に押す千石さんの姿。
泣けた。
チームシンスケ 鉄の掟。必ずマシンを仲間の待つピットまで運ぶを千石清一氏は約束を
果たしたのである。
ナイトラン。最後の夏、鈴鹿。
モリワキのマシンに跨る際、紳助さんの耳元に全てあなたのおかげですと千石さん。
お疲れ様でした。

チームシンスケ 第2ライダーの大塚茂春氏。
島田紳助さん「風よ鈴鹿へ」にて名脇役的に登場するのが大塚茂春氏である。

MBS ヤングタウン
深夜ラジオからチーム状況を報告され紳助さんの声に悲壮感が漂い第2ライダーが中々決
まらないことでチーム内にまたはサポーターに焦りが感じられたものだった
そんな中、千石さんから第2ライダーが見つかったとの連絡が・・・。
しかし、そのライダーには別のチームとの契約がありチーム状況は二転三転するが?
大塚茂春氏である。
当時、所属していたチームとの契約を反故にしてまでチームシンスケの第2ライ
ダーにまたはヨシムラのマシンに・・・跨ったのである。
1986年、チームシンスケは大塚茂春氏の加入によりやっとチーム体制が整ったのである。


あの甘酸っぱい夏の日から28年。
千石さんは現在も芦屋でBMWを中心としたバイク屋さんを営んでおり、チームシンスケの
懐かしい話など気さくに語りかけてくれます。



千石さんのツナギとヘルメット。
雨が降りしきる中、懸命に仲間の待つピットにマシンを運んだ伝説の引退レース1991 最後の夏に着用していたツナギとヘルメットが当社に。


1989年 レース着用の大塚さんのツナギとヘルメット。
チームシンスケ レース最高位15位にて完走した思い出のツナギとヘルメットが・・・。


1988年 レース着用の大塚さんのツナギ。
メインスポンサー にチキータバナナをむかえチームシンスケ涙の初完走した思い出のツナギが
何故か当社に。


当社の事務所にあの大塚さんが豊橋から3時間かけ遊びに来てくれました。


千石さんが所有していたレーサーマシン。
非常に珍しい、シングルレーサーのレプリカ、未使用車Activityがコンプリートし1980年代に
西武系デパートで限定20台のみ販売されたもので神戸ライダースクラブ主催のトークショーな
どで展示されていた有名なレーサーマシンが当社に展示されております。


千石さんから頂いたチームシンスケのスタッフポロ。


1995年 チームシンスケ最後の年。
チームシンスケ SNK仕様のマウンテンバイク。ピットを走り回っていた世界に3台しかない
マウンテンバイクが何故か?当社に。
