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1986年 チームシンスケは彼の一言で始動した。
予選順位 27位 決勝 リタイアでチームシンスケの夏は終わる。



1991年 彼のマシンがエンジンストップ。降りしきる雨の中、壊れたマシンを彼は押し続けた。仲間の待つピットまで。彼の思いもしくは意地そして仲間との絆を私は後に知ることとなる。



1986年 私はただあのヨシムラのマシンに乗りたかった。彼が私に言った少年のまま歳を重ねようと言う意味はこの辺にあるかもしれない。そして、私は1995年にサーキットを後にした。



●'86年
千石清一氏の鈴鹿で必ず泣ける。の一言でチームシンスケがヨシムラのマシンを駆り始動する。予選14位 決勝一時は6位まで順位を上げるがリタイアでその年の夏を終える。
●'87年 前年のヨシムラのマシンで予選突破を目指すが予選落ちとなる。 
●'88年 この年からチキータバナナがメインスポンサーとなりヤマハFZR750にて予選39位 決勝27位で初の完走する。
●'89年 この年からボブソンがメインスポンサーとなり予選42位 決勝15位とプライベーターでは最高の結果をもたらす。
●'90年 前年同様、ボブソンがメインスポンサーでこの年からモリワキZERO-VX7
を駆り2台エントリーで臨んだ。千石/山本組 予選43位 決勝31位 大塚/マリオ・ドゥハメル組 予選46位 決勝22位。
●'91年 この年、千石清一氏の引退レースーである。この年も2台エントリーで千石/山本組 予選45位 決勝リタイア。中井/新井組 予選47位 決勝18位。
千石氏が壊れたマシンを押してピットまで運ぶ姿が伝説となる。
●'92年 この年から引退した千石氏に代わり宮城光氏と田村圭二氏がチームシンスケに加わる。マシンもホンダVFR750Rにとチーム体制が一新する。
山本/宮城組 予選52位 決勝23位。中井/新井組 予選16位 決勝24位。
●'93年 この年からまた1台体制になる。マシンは前年同様ホンダVFR750R。メイ
ンスポンサーがボブソンからSNKに替わる。新井/田村組 予選16位 決勝23位でレースを終える。
●'94年 この年からワークスマシン ホンダRVF/RC45が貸出され決勝でのジャンプアップが期待される。 またライダーにヨシムラで活躍した大阪賢治氏が加わる。大阪/田村組 予選12位 決勝14位とチームシンスケ最高順位で夏が終わる
●'95年 チームシンスケ ラストラン。素人チームから最後はワークスマシンを借りれるまで成長したチームシンスケが鈴鹿の夏から姿を消すこととなった
大阪/田村組 予選12位 決勝リタイア。
'2011年 チームシンスケはONE TIME REVIVAL 鈴鹿に帰ってきた。